平成22(2010)年8月発行の『詩の国秋田 : Akita – the Land of Poetry 』第2号には、秋田県知事佐竹敬久氏と秋田大学名誉教授(文学博士)石川三佐男氏から玉稿を賜りました。
最初、佐竹県知事の巻頭言を紹介します。
佐竹秋田県知事は次のように述べています。一部を紹介します。
「秋田の地から『英語ハイク』を世界に発信しようという趣旨で本誌を発行したとのことであり、皆様の活動が、秋田の文化を世界に発信することで、地域社会や国際交流に大きく貢献されていることに対し、深く敬意を表します。
ご存知のとおり、『秀麗無比なる鳥海山よ』ではじまる秋田県民歌の第一番は、『山水皆これ詩の国秋田』という言葉で結ばれます。この県民歌を聴くたびに、秋田は自然や文化がそのまま詩となる美しい地域であるという思いを強くするのであります。秋田のこの美しい原風景が俳句や短歌などの短い言葉に載って世界に伝わり、国内外との交流や絆が大きく育っていくことを願っております。」
次に、石川三佐男先生の玉稿を紹介します。
赤星藍城の「孔雀窟旧製」に見る典故の活用美について
石川 三佐男・秋田大学名誉教授(文学博士)
赤星藍城(1857~1937)は宮城県生まれ。秋田に縁の深い医家・書家として知られる。
書家としての本領は『藍城遺墨帳』に結実している。藍城は漢詩の名手でもあった。漢詩の生命線は「典故」活用力にかかっている。以下その視点から藍城の詩才を見てみよう。
「鮫人之室」(鮫室・鮫人之宮とも)という故事がある。南海の水中に居る伝説的人魚(鮫人)の部屋、また宮殿を意味する。この人魚は機織りに長け、よく泣き、泣けば泪が珠(魚珠)となる、そのうすぎぬ(鮫?)は衣服にすると水に入れても濡れないとも言われる。現代の一流水泳選手がこれを入手したら世界新続出となるだろう。出典は漢代の『述異記』下編。「水浄露鮫室、烟消凝蜃樓」(孫佐輔・望海詩)、「居然月宮化鮫室、坐見月中清泪滴」(楊維楨・奔月卮歌)等は「鮫室」や「魚珠」の故事を活用した歴代の作品例である。
藍城も「鮫室」の故事を活用している。詩は男鹿半島の奇観「孔雀窟」を謳ったもの。孔雀窟は近隣の「蝙蝠窟」と並んで神話・伝説にも富んでいる。「孔雀窟旧製」と題する軸物一幅の書作品(七言絶句)は現在、秋田市立千秋美術館蔵となっている。
絶壁千尋挟水懸 絶壁千尋、挟水懸かり
虹霓雙架影横天 虹霓雙架し、影、天に横たはる
紅暾晨上青龍臥 紅暾、晨に上れば、青龍臥し
海霧晴来鮫室前 海霧晴れ来たる鮫室の前に
男鹿半島の断崖は千尋の深さがあって絶壁には小脇に抱えられたように滝水が白い糸となって細くぶら下がり、真上には虹が雌雄七色、橋のように架かって、虹橋の影が天空に大きく横たわっている。早朝、紅色に染まった太陽が昇りはじめると、天空に架かっていた雌雄七色の虹と海一面に立ち込めていた朝霧は次第にその姿を消滅して一面晴れはじめ、やがて鮫室(孔雀窟)の前まで迫るよう刻一刻と晴れ渡ってきたことであった。
詩の見どころは男鹿半島の断崖絶壁の景と天空に横たわる美しい虹の橋による立体的景観美。「孔雀窟」の正面で繰り広げられる「紅暾」(旭日)の昇天と「青龍」(虹)と「海霧」の消滅。また明光の到来によって刻一刻と変化する自然界の荘厳な景観美など。圧巻は結句に見える典故の活用美。狙うところは男鹿半島の奇観(孔雀窟)と中国古代の霊妙な人魚伝説(鮫人之室)の時間軸地理軸を超越した宇宙規模的融合だ。狙いは的中し、藍城の「孔雀窟旧製」は秋田漢詩一万編の質の高さと「山水皆詩の国秋田」(県民歌)を体現する見事な作品となっている。ここには秋田再生のヒントがあることも見逃せない。
今年初め、筆者は千秋美術館から依頼を受けて「赤星藍城筆『孔雀窟旧製』訳読」等の報告書を回答したことがあった。本稿はその成果によっている。
(平成22年6月14日、識之)
石川先生は、「詩の国秋田」は、実は「漢詩の国秋田」であったとおっしゃっています。
平成22(2010)年9月に発行された『旭水』第34号に「秋田の教育と文化に寄せて」というタイトルで石川先生の玉稿が掲載されています。
一部分ですが、その抜粋を紹介します。
「江戸期の秋田の教育や文化を象徴する作品として秋田人士による漢詩文が約一万編あります。天下の水準を遙かに傑出した作品が少なくありません。」
今や21世紀、「詩の国秋田」がどのような文化を築いていくか、楽しみであります。
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―蛭田 秀法(Hidenori Hiruta)