World Haiku Series 2022 に寄せて ―芭蕉と西施―
はじめに
2012年から秋田国際俳句・川柳・短歌ネットワークの主催により日露俳句コンテストが7年間にわたって開催されました。
2019年、秋田国際俳句ネットワークが日露俳句コンテストの応募者の皆様に感謝の気持ちと敬意を表するためにWorld Haiku Series を開催。趣旨は俳句をネット上で共有し、俳句を通して異文化を持つ人々の相互理解を深めたいということであった。
秋田国際俳句ネットワークは、「俳句ユネスコ登録推進協議会」の加入団体として活動していることから、World Haiku Series 2022の募集要項のように、今年度は、「地球」をテーマとして地球について俳句を詠むことを呼びかけています。また、使用言語はどの言語も可。ただし、英語以外の言語で詠まれる場合は、英訳を添えることになっています。
World Haiku Seriesは2019年、芭蕉の象潟訪問330年を記念しながら開催されたことにより、本稿では、芭蕉の象潟訪問の意義を再考することになりました。

ねぶの花と西施
松尾芭蕉 (1644-1694) が奥の細道で象潟に到着したのは、1689 年 8 月 1 日の夕方、霧雨が降り始め、鳥海山 (2,236 m) が姿を隠した時であった。 芭蕉の旅において、象潟は日本で最も北に位置していました。翌朝、晴天の下、芭蕉一行は潟に舟を出し、最初に能因島に立ち寄り、歌人である能因(988-1050、または1051)が3年間隠遁生活を送った小屋の跡を訪問。その後、対岸に向かい、西行法師(1118-1190)の形見の桜を目にしました。
それから、蚶満寺を訪問。象潟の光景を一気に眺めました。南には鳥海山が迫り、天を支え、 その姿が水面に映っていました。「面影は松島に似ているが異なり、松島は笑うがごとく、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみを加えて、地勢が魂をなやますようである」と記し、名句を遺しました。
象潟や雨に西施がねぶの花 芭蕉
芭蕉は句作にあたり、蘇東坡(1036-1101)の「西湖」の詩を踏まえたと言われています。その詩では、西湖の美しさが西施の美しさにたとえられています。
西施は紀元前5世紀の中国の春秋時代の越の国の美女であった。伝説によると、西施は越王勾践から呉王夫差に献上され、夫差は彼女を愛しすぎて政務と防衛を怠り、ついに越に敗北。彼女は越に戻って、勾践の家来である恋人と一緒に湖上の舟に乗り、姿を消したとのことです。

呉越同舟
先般、World Haiku Series 2022のReminderを書くにあたり、象潟の芭蕉の句が思い起こされ、考えているうちに「呉越同舟」という4字熟語が思い出されました。「呉越同舟」は、もともと軍事理論の兵法書「孫子」に由来する故事であった。紀元前 5 世紀に中国の呉の孫子によって書かれました。内容は「たとえ敵同士でも双方の舟が嵐に遭い、同じ危険に直面すれば協力する」というもの。このことから、「敵対する者同士でも、利害や克服すべき危機が同じであれば協力する」という意味で使われるようになっています。
この故事は、現在の地球上で起こっている状況にあてはまる有意義なものであると実感しています。応募者の皆様が「地球」をテーマとしてどんな俳句を寄せられるか、期待しているところです。
芭蕉が象潟の美しさを中国の美女にたとえながら作った句は、意外なことに現代でも思い起こされる予言的な一面を含んでいるのではないだろうか。つまり、芭蕉の深慮遠謀的な面であると言えるだろうか。
ねぶの花、中国へ
1990年9月、象潟町日中友好協会の代表団が中国浙江省諸曁市(しょきし)を訪問。西施の遺跡を訪ね、西施殿に一本のねぶの木を植樹したことから交流が始まり、2002年10月、正式に象潟町と諸曁市が友好提携を結び、交流が深められました。
2008年10月、にかほ市と諸曁市は、日中平和友好条約の基本理念に基づき、両市間の友好と交流を促進し、両国間の友好と協力をさらに発展させるため、友好都市提携協定書に調印。以後、交流が継続されています。
にかほ市は「俳句ユネスコ登録推進協議会」の加入自治体として、一層の俳句を通した文化交流が期待されています。
最後に、拙句を一句。
さまざまのこと思ひ出すねぶの花 秀法
蛭田秀法(国際俳句交流協会会員)
参考資料
・World Haiku Series 2022:募集要項
https://akitahaiku.com/2022/10/03/
・World Haiku Series 2022:Guidelines
https://akitahaiku.com/2022/10/04/
・World Haiku Series 2022:Reminder