天長地震後1200年(3)秋田城の神仏

  天長地震の発生以来、約1200年が経過したが、今もって地域の人々の生活や文化など多岐にわたって大きな影響を与えている。本シリーズでは天長地震で大きな災害が発生した秋田城に関わる神仏を取り上げます。   秋田城の神社仏閣     秋田城は奈良時代から10世紀中頃までの平安時代にかけて現在の秋田県秋田市に設置された古代城柵であった。   天平5年(733年)に出羽柵が庄内地方から秋田村高清水岡に移転したことにさかのぼり、その後天平宝字年間に秋田城に改称され、出羽国北部の行政・軍事・外交・文化の中心地としての役割を担った。   秋田城に関わる神社仏閣は古四王神社と出羽・四天王寺であった。   古四王神社     武甕槌命(たけみかづちのみこと)   天津神。高天原の「武」の象徴。神話「出雲の国譲り」では、出雲の統治権を譲渡させる功績を挙げ、「神武東征」においては神剣を遣わし神武天皇を救います。鹿島神社総本山の鹿島神宮の祭神「鹿島神・鹿島さま」でも知られる。   日本三大軍神の一柱であり、建御名方神(たけみなかたのかみ)と共に日本の国技である相撲の祖神とされている。   秋田城に隣接する寺内児桜に鎮座していた古四王神社の御祭神として北辺鎮護の拠点秋田城の守護神となった。     大彦命(おおひこのみこと)   第8代孝元天皇の皇子とされ、四道将軍の一人として北陸方面の平定と開拓に派遣された人物が神格化されたと伝わります。 北陸から東北日本海側にかけて「古四王」「越王」「胡四王」など似た名の神社が分布し、大彦命を祖神・開拓神として祀る系統と考えられています。   秋田城に隣接する寺内児桜に鎮座していた古四王神社の御祭神として北辺鎮護の拠点秋田城の守護神となった。   出羽・四天王寺     出羽・四天王寺は聖徳太子にゆかりのある四十六寺の一つで秋田城に建立された古代寺院であった。四天王を守護神とし、国家と民を守る祈りの場であった。         聖徳太子は仏教を国家統治の理念として積極的に導入し、「三宝(仏・法・僧)を篤く敬え」と詔を発し、仏教を国家の精神的支柱と位置付けた。また、十七条憲法にもこの詔を盛り込むことで、仏教を国家の精神的支柱として明確に位置づけた。   聖徳太子は仏教の教えを広め、信仰の中心地を設けるために大規模な寺院建立を推進し、仏教を分裂しがちだった豪族社会をまとめ、天皇を中心とする統一国家を築くための重要な精神的基盤として捉えた。また、仏教と在来の神道が共存し、後の神仏習合の基礎が築かれた。   出羽・四天王寺を復元したジオラマ       出羽・四天王寺は、秋田城の付属寺院として、朝廷が東北地方の統治と防衛を進める過程で整備された重要な役割を担っていた。   観音様を御本尊として律令国家最北の城柵において北方の脅威から国家と民を守る重要な役割を果たした。   四王堂には、仏教の教えを四方から守護する四天王が祀られており、その中でも毘沙門天は北方を守護する護法神であり、財宝の神、武神でもあった。   1200年後の神仏   古四王神社 … Continue reading 天長地震後1200年(3)秋田城の神仏