天長地震後1200年(2)観音様と地蔵様

 

天長地震の発生以来、約1200年が経過したが、今もって地域の人々の生活や文化など多岐にわたって大きな影響を与えている。本シリーズでは観音様・地蔵様を取り上げます。

 

秋田城

 

秋田城は奈良時代から10世紀中頃までの平安時代にかけて現在の秋田県秋田市に設置された古代城柵であった。

秋田城の創建は、天平5年(733年)に出羽柵が庄内地方から秋田村高清水岡に移転したことにさかのぼり、その後天平宝字年間に秋田城に改称され、出羽国北部の行政・軍事・外交・文化の中心地としての役割を担った。

 

秋田城の構造

 

 

政庁第2期復元模型(770年~800年前後)

 

 

天平5年(733年)秋田に移った出羽柵は天平宝字4年(760年)秋田城に改称され、その後、改修された。秋田城として機構も改編された。

 

政庁第3期復元模型(800年前後~830年頃)

 

 

延暦23年(804年)陸奥方面での朝廷の軍事的勝利を受けて秋田地方に秋田郡が設置された。合わせて、秋田城の改修が支配体制再編の一環として行われ、出羽北部の軍事・行政拠点として存続することとなった。

 

天長7年(830年)天長地震

 

1月3日朝秋田城に大地震が起こった。一瞬にして城郭は崩壊し、城内の建物は倒壊した。

秋田城は壊滅し、広い範囲で勝平山も崩れ、その山麓に建てられていた勝平寺も砂に埋もれ、多くの石仏も砂に埋もれた。また、雄物川や海にさらわれた石仏もあった。

 

文治元年(1185年)石像の発見・石山観音

 

 

天長地震後355年が過ぎた頃、沖で漁をしていた漁師たちの網に一体の石仏がかかり海から引き上げられた。驚いた漁師たちは早々に持ち帰り、眺望絶景な勝平の丘に祠を建て「石山観音さま」と呼んで崇敬した。

 

石像や漁師引き上ぐ春の海

 

 

石像や三百年余海底に

 

石像や三百年余人を待つ

 

微笑みの観音様やとこしえに

 

 

その後、不思議にも大漁が続き、お礼参りの灯明の光は、航海の目印になって海の安泰が保たれたという言い伝えが残っている。

石像の発見以来840年後の今も、石山観音のほのぼのとした愛らしいお顔は訪れる人を癒している。

 

 

観音様八百年余高台に

 

観音様八百年余海望む

 

観音様灯明光る船人に

 

観音様春夏秋冬八百年

 

姉妹地蔵の発見

 

それから時が流れ、再び漁師の網に二体揃って姉妹地蔵様が引き上げられた。

祠の中で人々の暮らしを見守る姉地蔵様と海を見守る妹地蔵様は背丈も同じくらいでお顔も似ている。左手には宝珠、右手には錫杖を持っている。

 

 

祠の中の姉地蔵様

 

 

脈脈と家内安全見守れり

 

勝平山の妹地蔵様

 

 

地震の日一月三日雪の出羽

 

 

八重桜妹地蔵映えりけり

 

 

幾百年立つ足元に百合の花

 

 

秋色の妹地蔵海望む

 

石山平和観音

昭和27年(1952年)5月11日

 

 

昭和27年(1952年)5月11日、石山平和観音が日清戦争以来太平洋戦争に至るまで御国のために一身を捧げられた戦没者の霊を慰め祭るため、かつ世界平和を祈念するために建立された。

古来より霊地として由緒ある県雄物川公園の高台石山の地に元在郷軍人分会関係者が発起して大方有志の協力を得て建立された。

さらに、三十三観音も建立された。

 

 

石山平和観音の建立の趣旨は次の通りです。

 

 

対岸の郭公の声観音に

 

日の本の太平祈る百合の花

 

赤蜻蛉群がる夕べ観音に

 

海の果て無事平穏の夕日かな

 

三十三観音

昭和27年5月11日

 

 

繰り返す彼の人の名を初夏の海

 

 

彼の人に百合の花咲く海の丘

 

 

海望む秋色の丘桜の木

 

 

新雪に清まる世界果てしなく

 

 

秋田国際俳句ネットワーク

蛭田秀法

 

参考資料

・秋田城とは?

秋田市観光文化スポーツ部 秋田城跡歴史資料館

・石龍山 勝平寺 ―千年時空―より

・『海から上がったおむすび地蔵さん』世界物語遺産

 共同編集 秋田市立勝平小学校 図書委員会

      一般財団法人 カミーノ秋田

 著者 さいとうみつこ

・写真 秋田国際俳句ネットワーク 蛭田秀法

 

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